語り部の経営者たち
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アシスト 大塚辰男社長(4)利益は社員に還元 ボーナスは年に4回!
ビル・トッテン会長が創業したソフトウエアの販売、技術サポートを行うアシスト。「会社は将来の社員からの借りものである」と考える2代目社長の大塚辰男(69)は、現在約1300人の社員を率いているが、その…
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アシスト 大塚辰男社長(3)「めげない、逃げない、あまり儲けない」…株主のために働きたくないからです
世界中から優良で汎用性のあるソフトウエアを発掘し、日本企業が有効に活用できるよう提案・サポートするアシスト。取引企業は6000社を超える。 2012年に社長に就任した大塚辰男(69)が、そん…
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アシスト 大塚辰男社長(2)「狙いを1つに絞り、みなのベクトルを一つにして」業績を伸ばす
ソフトウエアの販売、技術サポートなどを行うアシストの2代目社長、大塚辰男(69)が同社に入社したのは1983年。 「仕事内容は、弊社が独占販売権を取得した海外の製品を企業に提案して導入していた…
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アシスト 大塚辰男社長(1)働いたスナックでお客さまに教えてもらった「機を捉える力を養う」が自分の羅針盤
アシストは、日本経済に関する著作も多いビル・トッテン(現会長)が1972年に日本で創業した、ソフトウエアの販売、技術サポートなどを行う会社。 2012年に2代目社長に就任したのが大塚辰男(6…
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メンタルヘルステクノロジーズ 刀禰真之介社長(4) 社員のメンタル不調で一般人と精神科医の「普通」に乖離を思い知る
創業後、右肩上がりで売り上げを伸ばしていたが、4年目に入ると成長は鈍化。「業績だけではなく、組織も崩壊しだした」と刀禰真之介氏(45)は振り返る。 「わずか20~30人しかいないのに、社内にい…
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メンタルヘルステクノロジーズ 刀禰真之介社長(3)投資会社で必死に働いていたら急にダウン 診断された聞き慣れない病名
刀禰真之介社長(45)は自身の会社を立ち上げるまでに3度、転職している。2度目は2007年、エンジェルジャパン・アセットマネジメントという投資顧問会社だった。企業や市場を分析し、投資の意思決定をサポ…
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メンタルヘルステクノロジーズ 刀禰真之介社長(2)コンサル業界への就職を目指して思い知らされた学歴の壁
明大中野高校2年と3年の夏休み、刀禰真之介社長(45)はホームステイを経験した。 「父がクリスチャンで、僕も幼児洗礼を受け、教会に通っていた。中学に入ってからは中断していたんですが、高校に上が…
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メンタルヘルステクノロジーズ 刀禰真之介社長(1)若乃花・貴乃花兄弟を育て上げた明大中野相撲部監督が担任教師
厚生労働省の調査によると、メンタルヘルスの不調によって連続1カ月以上休業、もしくは退職した従業員がいた事業所の割合は13.5%。企業の損失は休職者の年収の3倍にも及ぶとされ、対策は急務になっている。…
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リブセンス 村上太一社長(4)退職後も保有できる社員持ち株制度「リブシェア」を導入
アルバイト求人情報サイト「マッハバイト」、転職口コミサイト「転職会議」、ITエンジニア限定の転職サービス「転職ドラフト」などで成長するリブセンス(東証スタンダード)。 村上太一社長(38)は…
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リブセンス 村上太一社長(3)トップダウン経営をやめた…社長ひとりの頑張りより全社員の少しの変化
2006年に19歳でリブセンス(東証スタンダード)を設立した村上太一社長(38)。アルバイト求人情報サイト「マッハバイト」、転職口コミサイト「転職会議」などのウェブサービスを手掛け、今年で19年にな…
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リブセンス 村上太一社長(2)不便と課題の解決が事業の基本 転職口コミサイト「転職会議」が急成長
成功報酬型という独自のビジネスモデルのアルバイト求人サイト「マッハバイト」などを展開するリブセンス(東証スタンダード)の村上太一社長(38)は、早大1年の時に大学内のオフィスで創業し、25歳で東証マ…
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リブセンス 村上太一社長(1)不安を解消するには行動…学生時代に創業し史上最年少25歳で1部上場
アルバイト求人情報サイト「マッハバイト」、転職口コミサイト「転職会議」、ITエンジニア限定の転職サービス「転職ドラフト」を主要事業とするリブセンス(東証スタンダード上場)。 村上太一社長(3…
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富士フイルムホールディングス 後藤禎一社長(8)「地球上の笑顔の回数を増やしていく」
2021年、後藤(66)が社長に就任した時、「イメージング事業(写真関連)はどうするつもりなのか」と、投資家から聞かれた。 「もちろん、積極的に取り組みますよ」と、後藤が答えると、「ええっ!?…
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富士フイルムホールディングス 後藤禎一社長(7)赴任先の国を理解しようと読み始めた世界史本にハマる
後藤(66)は無類の世界史好きであるが、そのきっかけとなったのも、ベトナム赴任だったという。 「異文化の中で、まさに未知との遭遇の日々でした」 仕事をスムーズに行うためにも、ベトナムと…
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富士フイルムホールディングス 後藤禎一社長(6)新興国医療の向上を目指して健診センターを開設
1995年から4年間にわたるベトナム赴任中、後藤(66)は主力の写真フィルム以外にも、レントゲンフィルムなどの販売にも携わっていた。 各地の病院を回る中で、ベトナムの医療体制がまだ発展途上に…
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富士フイルムホールディングス 後藤禎一社長(5)5年後、10年後を目指してタネをまく
2021年6月、後藤(66)は富士フイルムホールディングスおよび富士フイルムの社長に就任する。 「私はこの時、『富士フイルムの未来をつくる』と宣言したのです」 同社にとって、2000年…
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富士フイルムホールディングス 後藤禎一社長(4)メディカルシステム事業の10年先を描いた“マンダラ図”
30代後半のベトナム赴任は、後藤禎一(66)にとって大きなターニングポイントとなった。 日本人は自分ひとりしかいないのだから、何でもひとりで考えて、ひとりで実行するしかない。後藤は、ベトナム…
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富士フイルムホールディングス 後藤禎一社長(3)ベトナムの市場開拓は暗中模索で始まった
1995年、後藤禎一(66)にベトナム赴任の辞令が下る。86年に始まったドイモイ(刷新)政策によって、ベトナムはめざましい経済成長を遂げていったが、当時はまだその途上にあった頃だ。 現地には…
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富士フイルムホールディングス 後藤禎一社長(2)全面車両広告の「フジカラー号」を走らせ、大評判に
1983年、後藤禎一(66)は関西学院大学社会学部を卒業すると、富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)に入社する。 「世の中を幸せにする会社に入りたい」と、後藤は考えていた。 …
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富士フイルムホールディングス 後藤禎一社長(1)写真事業で培った技術で多角化を推進 5期連続で最高益を更新
2021年3月31日、富士フイルムホールディングスはCEO交代の記者会見を行った。 写真フィルム市場の失速による本業喪失の危機に向き合い、21年間にわたり同社を率いてきたカリスマ、古森重隆会…