長嶋茂雄さんは当然のように電車改札を「顔パス」しようとして、駅員に捕まった
2008年掲載 山田透氏による「雨でもマイクは離しません」(第1回)を再公開
“燃える男”、“ミスター”の愛称で国民的人気を誇ったプロ野球元巨人監督の長嶋茂雄さんが6月3日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年89。選手、監督として数々の伝説、逸話を残した「ミスタープロ野球」は、身近に接した誰もにそれぞれの「長嶋茂雄像」を強く印象づけてもいる。日刊ゲンダイの連載で多くの球界OBが語ってきたその実像を再構成して緊急公開します。
今回はアナウンサーとして長年スポーツ中継に携わった山田透氏による「雨でもマイクは離しません」の第1回(2008年掲載)を再公開(本文中の年齢・肩書きなどは当時のまま)。
◇ ◇ ◇
「いやー、どうも。長嶋ですぅー」
長嶋さんが巨人監督を解任されたのが昭和55年。それから12年間、充電をするのだが、58年、西武球場で行われた西武-巨人の日本シリーズのラジオ解説をお願いした。
放送ではシリーズのデータを調べる係りだったが、試合終了後、長嶋さんを球場から池袋駅まで送り届ける役を仰せつかった。それも次のスケジュールが入っているため、急いで都内に戻らなければならなかった。