ロッテ吉井理人監督が語っていた長嶋茂雄さんの「不敗神話」が崩壊した日
2015年掲載 現ロッテ監督・吉井理人氏による「あの日あの時あの事件」(第9回)を再公開
“燃える男”、“ミスター”の愛称で国民的人気を誇ったプロ野球元巨人監督の長嶋茂雄さんが6月3日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年89。選手、監督として数々の伝説、逸話を残した「ミスタープロ野球」は、身近に接した誰もにそれぞれの「長嶋茂雄像」を強く印象づけてもいる。日刊ゲンダイの連載で多くの球界OBが語ってきたその実像を再構成して緊急公開します。
今回は現ロッテ監督・吉井理人氏による「巨人あの日あの時あの事件」(第9回=2015年)を再公開。本文中の年齢・肩書きなどは当時のまま。
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巨人にはかつて長嶋茂雄監督の「不敗神話」があった。92年オフに誕生した第2次政権時代、狙った選手はことごとく獲得。広沢克己(95年ヤクルトからFA)、川口和久(95年広島からFA)、清原和博(97年西武からFA)といった他球団のエースや4番打者を次々に補強していった。長嶋監督の魅力か、それとも長嶋監督の顔に泥を塗るわけにはいかないという周囲の努力のたまものなのか、いつしか「ミスターが出馬した交渉は失敗しない」といわれるようになった。そんな長嶋監督のFA交渉が初めて不調に終わったのが97年オフの吉井理人獲得だった。現ソフトバンクコーチの本人に当時の経緯を振り返ってもらった。